洋画(外国人作家) > ラウル デュフィ


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1877年 北仏の港町ル・アーブルに9人兄弟の長男として生まれる。家族全員が音楽好きで、プロまたはアマチュアの音楽家としてその後活躍している。
1900年 市から奨学金をもらい、パリの国立美術学校に学ぶ。
1905年 マルケやマチスと知り合い、フォーヴ(野獣派)の洗礼を受ける。
その後キュビスムの流行と共にブラックに惹かれ、立体派風の風景を描き、さらにセザンヌの構成にも関心を示した。
一時、生活のためポール・ポワレ衣装店でデザインの仕事をし、装飾美術の分野でも頭角を顕す。その要素を絵画にも取り入れ、次第に独自の世界が形成される。
1919年 アポリネールの『虐殺された詩人』、マラルメの『恋歌』の挿絵を制作する。
1922年 シチリア旅行の後、独自の様式が確立される。シチリアを中心とする地中海風景や海水浴場、また競馬場や音楽界の場面などを、リズミカルな筆致で明るく生き生きと描いている。
1937年 パリ万博、電気館のパヴィリヨンのための壁画「電気の精」(高さ10メートル、幅60メートル)を制作する。
1942年 スペイン国境近くのペルピニャンに移る。数年にわたるペルピニャン時代が、最も円熟した実り多い次期で、裸婦を配したアトリエ風景が多く描かれる。油絵の他にも水彩画をよく制作し、その瑞々しい色彩感と躍動感は、水彩の名手と称えられた。版画は初期に木版、後には石版・銅版を手掛ける。
1953年 死去。享年76歳。
2003年 デュフィ没後50年を迎え、パリのマイヨール美術館、ル・アーヴルのアンドレ・マルロー美術館他数箇所において、大規模な追悼回顧展を開催。
デュフィの描く単純で軽快な線は心地よく装飾的で、華麗な色彩の広がりと見事に調和している。作品はパリの国立近代美術館をはじめ、世界各国の美術館に永久コレクションとして保存されており、今日も20世紀の巨匠としてデュフィ芸術の再評価が世界的に行われている。
収蔵美術館(フランス) オルセー美術館、パリ国立近代美術館[ポンピドーセンター]、パリ市立美術館、装飾芸術美術館、カルナヴァレ美術館、ナンシー美術館、オルレアン美術館、ランス美術館、ジュール・シュレ美術館
収蔵美術館(アメリカ) メトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館[MOMA]、ブルックリン美術館、ナショナルギャラリー、フィリップスコレクション、バーンズコレクション、サンフランシスコ近代美術館、フォッグ美術館
収蔵美術館(日本) 群馬県立近代美術館、宇都宮美術館、笠間日動美術館、うらわ美術館、ブリジストン美術館、国立西洋美術館、鎌倉大谷記念美術館、箱根芦ノ湖美術館、愛知県立美術館、三重県立美術館、伊丹市立美術館、ひろしま美術館、大原美術館、島根県立美術館、鹿児島市立美術館
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