日本画 > 東山 魁夷


月光 廃墟の夕

明治41年 横浜に生まれる
大正15年 東京美術学校日本画科に入学
昭和6年 東京美術学校卒業後、結城素明に師事し、雅号を魁夷とする
昭和8年 西洋美術史研究のため、ドイツを主に留学。第一回日独交換留学生としてベルリン大学哲学科美術史部に学ぶ。
昭和22年 第三回日展で〈残照〉が特選となり、政府が買い上げとなる
昭和25年 日展審査員となる。第六回日展に〈道〉を出品。
昭和31年 第十一回日展出品作〈光昏〉により第十二回日本芸術院賞を受賞。
昭和35年 東宮御所大広間壁画〈日月四季図〉完成。
昭和40年 日本芸術院会員に任命される。日展理事となる。
昭和44年 11月文化勲章を受章、文化功労者に選ばれる
昭和46年 唐招提寺御影堂障壁画の制作を受諾。
昭和48年 「白い馬の見える風景」展を開催。
昭和49年 日展理事長に就任する
昭和50年 唐招提寺障壁画〈山雲・濤声〉が完成し御影堂に奉納する。「第一期唐招提寺障壁画展」開催。
昭和51年 ドイツ連邦共和国より功労大十字勲章を贈られる
昭和52年 パリのプチ・パレ美術館で開催の「唐招提寺展」に〈山雲・濤声〉が出品される。
昭和54年 東ベルリン国立美術館アルテス・ムゼーウムとライプチヒ造型美術館で「日本東山魁夷絵画展覧会」が開催され、訪独。
昭和55年 唐招提寺障壁画〈桂林月宵〉〈揚州薫風〉〈黄山暁雲〉が完成。「第二期唐招提寺障壁画展」が開催。
昭和56年 鑑真和尚像厨子絵〈瑞光〉を仕上げ、唐招提寺へ奉納、唐招提寺壁画が完成。
昭和58年 西ドイツで展覧会開催。
昭和59年 西ドイツのプール・ル・メリット学術・芸術院の会員に選ばれる。
昭和60年 日本中国文化交流協会代表理事となる。ベルリン日独センター評議員となる。同時に日独協会名誉会員に推戴される。
昭和62年 所蔵の自作を一括して長野県に寄贈する。
平成元年 ベルリン国立東洋美術館、ハンブルク工芸美術館、ウィーンキュンストラーハウスで「東山魁夷展」が開催される。
平成2年 長野市の城山公園内に長野県信濃美術館 東山魁夷館が開館。
平成7年 米寿記念〜唐招提寺障壁画と画業60年の歩み〜「東山魁夷展」(東京、京都、長野県信濃美術館・東山魁夷館)が開催される。
平成9年 卒寿をむかえて-東山魁夷「私の森」展(神戸・福岡)開催される。
平成10年 長野オリンピック開催にあわせて「人と自然 そして祈り in japan」が開催される。第三十回日展に〈月光〉出品。
平成11年 5月6日逝去。従三位・勲一等瑞宝章を贈られる。11月パリで「東山魁夷展」開催。
平成12年 信濃美術館東山魁夷館開館10周年記念「東山魁夷の世界」展開催
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