明治28年 |
3月1日滋賀県大津市に生まれる。遊亀は本名。 |
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奈良女子高等師範学校を総代で卒業。 |
大正9年 |
6月安田靫彦に入門を許される。 |
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第十二回日本美術院展に「童女入浴の図」を出品するが落選。 |
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靫彦の勧めで「童女入浴の図」を小堀鞆音の革丙会革新第一回展に出品し入選。小林古径、速水御舟に注目される。第十三回院展に「胡瓜」が初入選。 |
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日本美術院同人に推挙され、女性ではじめての同人となる。 |
昭和13年 |
山岡鉄舟門下の禅者小倉鉄樹と結婚。 |
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毎日新聞の谷崎潤一郎原作「少将滋幹の母」の挿絵を執筆。 |
昭和29年 |
第四回上村松園賞を受賞。 |
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「裸婦」(第三十九回院展出品)が芸能選奨美術部門文部大臣賞受賞。 |
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「少女」(第四十一回院展出品)に対して第八回毎日美術賞受賞。 |
昭和37年 |
「母子」(第四十六回院展出品)が第十八回日本美術院賞を受賞。 |
昭和51年 |
日本芸術院会員に任命される。第一部(美術)では、上村松園以来2人目の女性会員。 |
昭和53年 |
11月文化功労者として顕彰される。日本美術院理事に推挙される。 |
昭和55年 |
11月3日文化勲章を授章。女流画家としては上村松園以来であり、女性として文化勲章を受けたのは三人目である。 |
昭和59年 |
滋賀県立近代美術館開館。「開館記念小倉遊亀回顧展」を開催。 |
平成7年 |
朝日新聞社主催「百歳記念小倉遊亀展」が日本橋三越にて開催。 |
平成8年 |
日本美術院名誉理事長に就任。 |
平成9年 |
鎌倉芸術会館にて「小倉遊亀展」を開催。 |
平成11年 |
パリ三越エトワールにて海外初個展を開催。「パリ展帰国記念 小倉遊亀展」を開催。 |
平成12年 |
3月に一時入院する前日まで絵筆を執っていたが、いったん退院。6月に再入院し、7月23日午後10時11分、急性呼吸不全のため東京都内の病院で逝去。105歳。 |