日本画
> 松尾 敏男 |
松尾 敏男17歳のとき堅山南風に入門し、院展を主な舞台に活躍した。初期には死や不安をテーマとした「暗い情念」と呼ばれる作風を展開したが、昭和48年(画家47歳)頃から作品に和やかさが加わり、自然に花鳥画の世界へと入っていった。特に、牡丹の絵は高い評価を受けている。 |
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▼ 松尾 敏男の略歴 | |
昭和元年 | 3月9日長崎市今籠町生まれる。 |
昭和18年 | 堅山南風に入門を許され、古典模写や運筆の勉強をする。 |
昭和24年 | 再興第34回院展に「埴輪」が初入選。 |
昭和40年 | 師・堅山南風の助手として日光輪王寺の鳴竜の制作を手伝う。 |
昭和45年 | 再興第55回院展に「樹海」を出品、日本美術院賞・大観賞を受賞。文化庁買い上げとなる。 |
昭和46年 | 第一回山種美術館賞展に「翔」を出品、優秀賞を受賞。日本美術院同人に推挙される。 |
昭和50年 | 再興第60回院展に「燿」を出品、優秀賞を受賞。 |
昭和62年 | 多摩美術大学教授となる。 |
平成 6年 | 日本芸術院会員となる。 |
現在 | 芸術院会員 |