| 昭和 8年 | 4月12日、上村信太郎(松園)・たねの長男として京都市に生まれる。本名は淳。 | 
        
      | 昭和28年 | 京都市立美術大学日本画科に入学。この年、祖母松園の没後空家になっていた奈良県平城の唳禽荘に移り住む。 | 
        
      | 昭和31年 | 新制作協会第20回展に「水」を出品、初入選する。 | 
        
      | 昭和32年 | 京都市立美術大学日本画科を卒業、専攻科に進学する。卒業制作は「鴨A」「鴨B」、美大作品展に出品して第一席(学校買い上げ)となる。 | 
        
      | 昭和34年 | 京都市立美術大学専攻科を修了する。第6回朝日新人展に「沼」を招待出品する。 | 
        
      | 昭和36年 | 京都市立美術大学助手となる。 | 
        
      | 昭和41年 | 京都府日本画総合展に「熱国月明」を出品。京都府買上となる | 
        
      | 昭和43年 | 新制作協会第32回展に「火鶏」等を出品、新作家賞を受賞、新制作協会会友となる。 | 
        
      | 昭和47年 | 京都市立芸術大学助教授となる。この年から画号「淳之」を用いる。 | 
        
      | 昭和53年 | 第5回創画展に「晨1」「晨2」(双幅)を出品、創画会賞を受賞し文化庁買い上げとなる。 | 
        
      | 昭和55年 | 第7回創画展に「雁(月明)」「雁(雪中)」を出品、創画会賞を受賞する。 | 
        
      | 昭和56年 | 上村淳之展が京都府立文化芸術会館で開催される。創画会会員となる。 | 
        
      | 昭和59年 | 京都市立芸術大学教授となる。 | 
        
      | 平成4年 | 「上村淳之-四季の譜・鳥に遊ぶ-」が新宿・伊勢丹で開催される。 | 
        
      | 平成5年 | 上村松篁、淳之自選展がぱり三越エトワールで開催される。 | 
        
      | 平成6年 | 松伯美術館が開館、館長となる。 | 
        
      | 平成7年 | 日本芸術院賞を受賞する。対象作品「雁金」(創画展出品作品) | 
        
      | 平成9年 | 「画業三代の精華上村松園・松篁・淳之展」が開催される。 | 
        
      | 平成11年 | 京都市立芸術大学教授を退任、同大学副学長となる。 |