デュフィとモード

▼ポール・ポワレの為の仕事(1910-1925)→作品紹介

 初めて出会ったデザイナー、ポール・ポワレとデュフィとの間には装飾への共通の趣味のおかげですぐに固い友情が生まれていた。 ポワレは、最初に、便箋の*レターヘッドのための装飾版画の制作をデュフィに依頼した。その出来上がりをみたポワレは、デュフィの持つ手彩色による木版画の生き生きとした、テクニックとデザインのセンスの良さに魅了された。

*このレターヘッドは曜日別に別れていて、気の利いたものであった。挿入された曜日の文字は、レターヘッドの飾りデザインの一部としてバランス良く配置されている。
 ポワレは好奇心に溢れ革新と発明にとりつかれた人であった。ポワレはデュフィの木版術の才能を高く評価し、そして強い関心を持っていった。*そこでポワレは1910年の終わりに木版画のテクニックを布地に写すことをデュフィに提案する。

*この頃のポワレの思い→(私たちが夢みているのは、ボッティチェルリ風に装飾した鮮やかなカーテンとドレスだった。デュフィはこの頃、服飾業界にデビューしたばかりだったが、私が彼に提案(*)したことに夢中になった。それは彼の夢のいくつかを実現するための手段であった。)
 そしてデュフィは「動物詩集」のための木版画を制作したことでテキスタイルの創造的分野にデビューし、ポワレのための仕事をすることで、自分自身の財政的な独立を得ることになり、更に自分の新たな可能性としてのテキスタイルデザインに夢中になって数々の作品を制作していった。

 ポワレとデュフィは自分たちのデザイン布を制作するための工場、プティット・ユジーヌを創設した。


▼ビアンシニ=フェリエの為の仕事(1912-1928)→作品紹介

 1912年3月、デュフィは、当時、急速な発展をしていた、ビアンシニ=フェリエ社(生地制作会社の老舗)との契約に署名した。この契約は彼のテキスタイル創作の分野での探求を推し進めることができ、社の有能な協力者によって技術上の問題からも解放され、自分の色彩への探求をさらに進めていくことになる。

 彼はテキスタイルの活動によって経済的な安定が得られるようになる。これを一時的な方策とは考えなかった。なによりも画家であったデュフィは、プリントの分野での実験を絵画作品のためにするのと同じ感覚で実行するようになっていった。


 
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