美の巨匠「デュフィ」とは

ピカソやシャガールの名前は知っていても、「デュフィ」と聞いて「?」とおもわれる方は多いかもしれません。
1877年に北フランスのル・アーヴルという港町で生まれたデュフィは、1953年76歳で亡くなるまで、おもにフランスで作品を描きつづけました。 同時期にフランス画壇で活躍した画家たちが、ゴッホ(オランダ)、ピカソ(スペイン)、シャガール(ロシア)、フジタ(日本)、など異邦人が多い中、フランスで生まれフランスで活躍したデュフィは、フランス人にとって正真正銘の自国が誇るアーティストとして尊重され、オルセー美術館、ポンピドーセンター、パリ市立美術館等の有名美術館に多くの作品が収蔵されています。
日本でも、ホテル・ニューオータニを起こした故大谷米一氏のコレクションを収蔵する大谷美術館をはじめとした、30を超える公立美術館でデュフィ作品は展示されています。2001年にはポンピドーセンター所蔵の「デュフィ展」が日本全国を巡回し、それに伴ってNHKの「日曜美術館」やテレビ東京の「美の巨人たち」でも大きく取り上げられました。
デュフィの明るく洗練された風景画を愛好するコレクターは現在も世界中にいて、水彩画のちょっとした作品でも、クリスティなどのオークションで、軽く数百万円の値段がつくこともしばしばです。

デュフィの作品は、ニース湾や競馬場を描いた明るい風景画、ヴァイオリンやオーケストラをモチーフにした室内画、パーティーで楽しむ人々や美しい花々など、作品のみを見ていると幸せで仕方のないデュフィの人柄がみえてくるようですが、客観的にみると、デュフィの生涯はそれほどの喜びに満ちたものではなかったようです。

その作風は幅広く、初期には本当に画学生の見本のようなしっかりとしたデッサンの人物画や風景画を描いているのですが、途中セザンヌの立体的な作風に影響を受けて、ちょっとピカソやブラック風の作品に移行し、ほとんど抽象的といわれるような作品を描いた時期もありますし、 マティスやドランといっしょにフォーヴィズム(野獣派)という芸術運動に参加して、初期の暗い色調からフォーヴィズム特有の派手な色調に変化したこともありました。 また、1920年代より、ポール・ポワレという当時の有名デザイナーに協力して、生地のデザインやドレスの制作にたずさわったことも、デュフィの芸術の幅をひろげた一因だったことでしょう。

人生の半ばまでなかなか画業が認められず、生活も苦しかったデュフィですが、その作風から明るさが消えることはありませんでした。 第二次大戦中の1943年から44年にかけては、ナチス・ドイツがパリを占領し芸術家を迫害したため、スペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らすのですが、そこでも戦争のことなど忘れたかのように、村の風景や友人たちとの語らいの場面など、のどかなデッサンが残されています。
やっとデュフィの芸術性が認められた頃には、リューマチを発病し、絵筆を握ることもままならない日々が続き、療養のため、南仏やアメリカにまで転地をくりかえしたのでした。

このように、決して平坦とはいえない人生を歩みながらも、デュフィの一つ一つの作品---- 光に満ちたニース湾、語りかけるようなみずみずしい花々、ハーモニーが聴こえてくるようなオーケストラ等々は、わたしたちに生きる喜びを伝えてくれるようです。 デュフィの作品が一見、美しい色彩をつかった平明な具象画に見えながら、けっして飽きさせることなく多くの愛好家を獲得しつづけてきた秘密も、そのあたりにあるのではないでしょうか。

パリに行かれたら、エッフェル塔の近くにある、パリ市美術館をお訪ねください。 1937年のパリ万博の際、電気館に飾られた「電気の精」という壁画を現在も見ることができます。長さ60メートル、高さ10メートルの大作ですが、デュフィ芸術の粋を集めた色彩の美しさ、モチーフの壮大さに息をのむことでしょう・・・


 
Copyright (c) 2003- M&I ART SYSTEM All Right Reserved. Powerd by sound board.